日本に、世界に。スポーツのあり方を問いかける——国ごとの「違い」と、その先にある「可能性」を追って
コミュニティ福祉学部スポーツウエルネス学科 ライトナー カトリン J. 准教授
2022/08/01
研究活動と教授陣
OVERVIEW
世界共通のルールのもとで競い、汗を流し、讃え合う——それがスポーツの素晴らしさだ。
しかし実は、競技や選手を取り巻く環境、人々のスポーツに対する考え方は、国や文化圏によって大きく異なっている。ライトナー准教授は、その「違い」から、より良い未来につながる手掛かりを探ろうとしている。
他国の姿に照らして、スポーツを巡る問題点を探る。
基盤となる「仕組み」と、アスリートの人生に着目して
ライトナー先生の専門は、制度や組織、マネジメントなど、スポーツを支える「仕組み」の国際比較だ。また、国や文化圏によって異なる「仕組み」の中で、各国のアスリートが歩むキャリアの違いにも着目してきた。
スポーツ制度、そして競技団体?クラブチームといったスポーツ組織やその運営?管理を、いかにより良いものにするか。それは、あらゆるスポーツの普及?発展とともに、アスリートたちの人生にも大きく関わってくる。先生は、ヨーロッパを中心とする海外と日本の比較研究から、一国の姿を追うだけでは見えてこない特徴や問題点をあぶり出し、分析している。
「もともと研究者になるつもりは全くなくて。好きなことばかりやっていたら、ここにたどり着いた感じですね」
そう快活に笑うライトナー先生は、オーストリアでトップクラスの柔道選手として活躍した経歴を持つ。そして、スポーツを支える「仕組み」と、そこに生きる「人」の姿を見つめ続けてきた研究は、自身の人生と深く結び付いている。
スポーツ制度、そして競技団体?クラブチームといったスポーツ組織やその運営?管理を、いかにより良いものにするか。それは、あらゆるスポーツの普及?発展とともに、アスリートたちの人生にも大きく関わってくる。先生は、ヨーロッパを中心とする海外と日本の比較研究から、一国の姿を追うだけでは見えてこない特徴や問題点をあぶり出し、分析している。
「もともと研究者になるつもりは全くなくて。好きなことばかりやっていたら、ここにたどり着いた感じですね」
そう快活に笑うライトナー先生は、オーストリアでトップクラスの柔道選手として活躍した経歴を持つ。そして、スポーツを支える「仕組み」と、そこに生きる「人」の姿を見つめ続けてきた研究は、自身の人生と深く結び付いている。
オーストリアの柔道選手は、なぜ研究者になったのか。
競技者としての葛藤が、制度に目を向けるきっかけに
オーストリア人の父と日本人の母のもとに生まれたライトナー先生が、柔道と出合ったのは8歳のとき。
「ヨーロッパのほとんどの国には部活動がないため、スポーツをする場は学校ではなく『地域スポーツクラブ』です。あるとき近所の子に誘われて柔道のクラブに行ったら、楽しくて一気にはまってしまいました」
めきめきと頭角を現し、高校の頃からは国際大会にも出るようになり、その後ジュニアの世界選手権やヨーロッパ選手権に出場するなど国内トップレベルの選手に。卒業後は、「母が日本人ですし、帰省や試合で日本を訪れて興味があったので」ウィーン大学東アジア学部日本学科へ進学。「学生のためのオリンピック」と称されるユニバーシアードやシニアの国際大会で活躍を続けた。
しかし、順風満帆に見える競技人生の裏側で、常にある葛藤を抱えていたという。
「ヨーロッパの大学では基本的にトップアスリートでも一切特別扱いはされません。試合や合宿で授業に出席できなければ、そのまま単位を落としてしまうため、学業との両立が非常に難しいのです。さらに、就職でもスポーツ実績は考慮されず、問われるのは『どのような能力やスキル、または、どのような資格があるのか』のみ。引退後のことを考えると、ハードな環境の中で学び続けなければならず、ジレンマを感じていました」
「ヨーロッパのほとんどの国には部活動がないため、スポーツをする場は学校ではなく『地域スポーツクラブ』です。あるとき近所の子に誘われて柔道のクラブに行ったら、楽しくて一気にはまってしまいました」
めきめきと頭角を現し、高校の頃からは国際大会にも出るようになり、その後ジュニアの世界選手権やヨーロッパ選手権に出場するなど国内トップレベルの選手に。卒業後は、「母が日本人ですし、帰省や試合で日本を訪れて興味があったので」ウィーン大学東アジア学部日本学科へ進学。「学生のためのオリンピック」と称されるユニバーシアードやシニアの国際大会で活躍を続けた。
しかし、順風満帆に見える競技人生の裏側で、常にある葛藤を抱えていたという。
「ヨーロッパの大学では基本的にトップアスリートでも一切特別扱いはされません。試合や合宿で授業に出席できなければ、そのまま単位を落としてしまうため、学業との両立が非常に難しいのです。さらに、就職でもスポーツ実績は考慮されず、問われるのは『どのような能力やスキル、または、どのような資格があるのか』のみ。引退後のことを考えると、ハードな環境の中で学び続けなければならず、ジレンマを感じていました」
ユニバーシアード(2007/バンコク)。これが引退試合となった
そんなとき、選手が企業に所属してスポーツを続け、引退した後も働くことができる、日本の企業スポーツ制度の存在を知った。
「スポーツ成績が評価されて入社が認められ、引退後の生活が保障されることがうらやましくて。制度の仕組みや、実際にアスリートがどんなキャリアを歩んでいるのかを調べてみたいと思ったのです」
そこで修士課程に進み、柔道の実業団についての研究に着手。博士課程では日本に2年間国費留学し、対象を広げて多様なスポーツ種目における日本のアスリートのキャリアを幅広く追った。
この留学がきっかけとなり、修了後間もなく、立教大学に着任することに。好きな柔道に打ち込んだ日々、日本に関する学び、選手として肌で感じた問題意識。全てが一つの線で結ばれるかのように、先生いわく「予想外」の研究者人生が始まった。
「スポーツ成績が評価されて入社が認められ、引退後の生活が保障されることがうらやましくて。制度の仕組みや、実際にアスリートがどんなキャリアを歩んでいるのかを調べてみたいと思ったのです」
そこで修士課程に進み、柔道の実業団についての研究に着手。博士課程では日本に2年間国費留学し、対象を広げて多様なスポーツ種目における日本のアスリートのキャリアを幅広く追った。
この留学がきっかけとなり、修了後間もなく、立教大学に着任することに。好きな柔道に打ち込んだ日々、日本に関する学び、選手として肌で感じた問題意識。全てが一つの線で結ばれるかのように、先生いわく「予想外」の研究者人生が始まった。
日本のセカンドキャリア問題は、社会の構造的な問題
当初、日本のアスリートたちの環境は、恵まれているように見えた。しかし、研究を進めるにつれて、違った側面が明らかになったという。
「引退後、所属企業で働くことはできても、結局興味のない仕事をすることになる場合もあります。また、企業に属していないプロスポーツ選手が、次のキャリアをうまく築けないケースも少なくありません。ヨーロッパに比べ、こうしたセカンドキャリア問題はむしろ多いことが分かりました」
その理由は、個人の問題だけでなく、うらやましさを感じていた制度や社会システムの問題でもあった。
「日本にはスポーツに専念できる教育?就職システムがあるからこそ、『第二の人生をどう生きていくか』への意識が低くなりがちです。つまり、他の経験をせずに競技に集中してきたことが、引退後のリスクになってしまうわけです」
逆に、スポーツ活動と教育?就職が切り離されているヨーロッパは、現役時代からセカンドキャリアの準備をする仕組みになっているとも言える。先生が歩んだ道も、その証だろう。
キャリアの問題に限らず、ヨーロッパと日本のスポーツ環境は、それぞれメリットもあれば、課題もある。ライトナー先生は、それらをつぶさに検討して、互いに導入できそうな部分を見つけ出し、提示している。
「社会全体の構造が違うため、一筋縄ではいきませんが、双方がより良い方向に向かう方法を探り続けています」
「引退後、所属企業で働くことはできても、結局興味のない仕事をすることになる場合もあります。また、企業に属していないプロスポーツ選手が、次のキャリアをうまく築けないケースも少なくありません。ヨーロッパに比べ、こうしたセカンドキャリア問題はむしろ多いことが分かりました」
その理由は、個人の問題だけでなく、うらやましさを感じていた制度や社会システムの問題でもあった。
「日本にはスポーツに専念できる教育?就職システムがあるからこそ、『第二の人生をどう生きていくか』への意識が低くなりがちです。つまり、他の経験をせずに競技に集中してきたことが、引退後のリスクになってしまうわけです」
逆に、スポーツ活動と教育?就職が切り離されているヨーロッパは、現役時代からセカンドキャリアの準備をする仕組みになっているとも言える。先生が歩んだ道も、その証だろう。
キャリアの問題に限らず、ヨーロッパと日本のスポーツ環境は、それぞれメリットもあれば、課題もある。ライトナー先生は、それらをつぶさに検討して、互いに導入できそうな部分を見つけ出し、提示している。
「社会全体の構造が違うため、一筋縄ではいきませんが、双方がより良い方向に向かう方法を探り続けています」
日本の「当たり前」が、世界の「当たり前」ではない。
スポーツを楽しむドイツ語圏の国々、勝ち負けにこだわる日本
現在取り組んでいるのは、ドイツ語圏と日本のスポーツ組織を比較する共同研究だ。日本の組織はドイツをモデルにしているケースが多いが、日本独特のスポーツのあり方が、さまざまな違いとなって表れているという。
「ドイツやオーストリアでは、みんなで楽しむ大衆スポーツがベースにあります。一方、日本はどちらかと言えば競技者向けの印象が強いです。試合や勝ち負けにこだわり、『全てが厳しくないといけない』という風潮が見られます。それが競技団体にも反映されていますし、選手時代の経験からも感じることですね」
長く厳しい練習、「勝利至上主義」「我慢」「頑張る」といったマインド。日本人には当たり前だが、「世界の中で見れば特殊」だと指摘する。
「ちなみに、ささいな振る舞いや慣習でも、不思議なことはたくさんあります。例えば五輪における『金メダル宣言』。なぜ自分に過剰なプレッシャーをかけるのか。そして、負けたらなぜ謝るのか。部活動でも、どうして新人がボール拾いをしないといけないのか、とか。学生に聞くと、『そういうものだと思っていました』と言うのですが」
しかし、「どちらが良い、悪いではない」と先生は続ける。
「日本選手の真面目でストイックな姿勢は、もちろん尊敬もしています。逆に、日本では『競技以外の面でも、スポーツにはさまざまな価値や楽しみ方がある』という考え方がもう少し広がっていけば、生涯スポーツの活性化につながりますし、スポーツボランティアなど違った関わり方も見えてくるでしょう。ドイツ語圏と日本のミックスがあれば最高ですが、少しでも両者を近付けるために貢献していくことも、研究者としての目標の一つです」
「ドイツやオーストリアでは、みんなで楽しむ大衆スポーツがベースにあります。一方、日本はどちらかと言えば競技者向けの印象が強いです。試合や勝ち負けにこだわり、『全てが厳しくないといけない』という風潮が見られます。それが競技団体にも反映されていますし、選手時代の経験からも感じることですね」
長く厳しい練習、「勝利至上主義」「我慢」「頑張る」といったマインド。日本人には当たり前だが、「世界の中で見れば特殊」だと指摘する。
「ちなみに、ささいな振る舞いや慣習でも、不思議なことはたくさんあります。例えば五輪における『金メダル宣言』。なぜ自分に過剰なプレッシャーをかけるのか。そして、負けたらなぜ謝るのか。部活動でも、どうして新人がボール拾いをしないといけないのか、とか。学生に聞くと、『そういうものだと思っていました』と言うのですが」
しかし、「どちらが良い、悪いではない」と先生は続ける。
「日本選手の真面目でストイックな姿勢は、もちろん尊敬もしています。逆に、日本では『競技以外の面でも、スポーツにはさまざまな価値や楽しみ方がある』という考え方がもう少し広がっていけば、生涯スポーツの活性化につながりますし、スポーツボランティアなど違った関わり方も見えてくるでしょう。ドイツ語圏と日本のミックスがあれば最高ですが、少しでも両者を近付けるために貢献していくことも、研究者としての目標の一つです」
左:研究室にはトレーニング?ストレッチグッズがたくさん/右:ライトナー先生の著書と論文(プロフィール欄の主な論文に記載)
「こうじゃないといけない」ことなんて、何一つない
日々の授業では、スポーツ現場におけるマネジメント事例を国際比較する「スポーツマネジメント論」や、日本的スポーツの特徴と不思議を取り上げる「スポーツと社会」などの科目を担当。グローバルな視点から、学生に問いを投げかける。
また、実技がメインとなる「スポーツスタディ」の柔道クラスでは、オーストリア流の「スポーツの楽しさ」を伝えている。
「柔道経験者から、『柔道ってこんなに楽しくていいんですね!』と驚かれたこともあります」
オーストリアと日本で暮らし、国際的な研究を続けるライトナー先生の目に、グローバル社会に生きる日本の学生たちはどう映っているのだろうか。
「オーストリアは移民が多いため、多様な国籍?文化背景を持つ人々が周りにいるのが当たり前です。日本はそこまでの環境ではないので、どうしても一歩引いてしまう人が多いように感じます。特に『英語ができないから無理』と思い込み、躊躇する学生が目につきますが、言葉が完璧でなくても構わないので、どんどんコミュニケーションをとった方がいいと思います」
さらに、ほほ笑みながらこう続ける。
「人生も含め、全体的に日本では最初から決まった形や道があって、『こうじゃないといけない』と思いがちですが、それに縛られすぎないでほしいですね」
日本の常識が、世界の常識ではない。別の社会に目を向ければ、違った景色が見えてくる。研究や授業を通して、そして自らの背中で、ライトナー先生は学生たちに語り続ける。
また、実技がメインとなる「スポーツスタディ」の柔道クラスでは、オーストリア流の「スポーツの楽しさ」を伝えている。
「柔道経験者から、『柔道ってこんなに楽しくていいんですね!』と驚かれたこともあります」
オーストリアと日本で暮らし、国際的な研究を続けるライトナー先生の目に、グローバル社会に生きる日本の学生たちはどう映っているのだろうか。
「オーストリアは移民が多いため、多様な国籍?文化背景を持つ人々が周りにいるのが当たり前です。日本はそこまでの環境ではないので、どうしても一歩引いてしまう人が多いように感じます。特に『英語ができないから無理』と思い込み、躊躇する学生が目につきますが、言葉が完璧でなくても構わないので、どんどんコミュニケーションをとった方がいいと思います」
さらに、ほほ笑みながらこう続ける。
「人生も含め、全体的に日本では最初から決まった形や道があって、『こうじゃないといけない』と思いがちですが、それに縛られすぎないでほしいですね」
日本の常識が、世界の常識ではない。別の社会に目を向ければ、違った景色が見えてくる。研究や授業を通して、そして自らの背中で、ライトナー先生は学生たちに語り続ける。
※記事の内容は取材時点のものであり、最新の情報とは異なる場合があります。
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プロフィール
PROFILE
ライトナー カトリン J.
コミュニティ福祉学研究科 コミュニティ福祉学専攻博士課程 准教授
2006年9月、ウィーン大学(オーストリア共和国) 東アジア学部日本学科卒業。2014年1月、ウィーン大学大学院(オーストリア共和国) 東アジア研究科日本学博士課程修了。2013年9月より、立教大学コミュニティ福祉学部スポーツウエルネス学科助教。2018年9月より現職。主な研究分野は、スポーツマネジメント、アスリートのキャリア形成、セカンドキャリア問題、スポーツ制度?組織の国際比較研究。
主な論文
「The Japanese Corporate Sports System: a Unique Style of Sports Promotion」(2011)「ヨーロッパにおける競技アスリートのデュアルキャリアに関する社会学的一考察-N.ルーマンの社会システム論から-」(2014)「Leistungssport und/oder Ausbildung? Die japanische L?sung des Karrieredilemmas.」(2014)「"Depression" after Tokyo 2020? Characteristics of Japan's sport policy and the 2020 Tokyo Olympics & Paralympics.」(2017)
ライトナー カトリン J.(研究者情報)