色あせない“青春”の記憶。一つ一つの出会いや学びが、芸能活動の糧に
モデル、女優 堀田 茜さん
2021/12/21
立教卒業生のWork & Life
OVERVIEW
ファッションモデル、女優として多方面で活躍する堀田茜さん。若い女性から絶大な支持を得るファッション雑誌『CanCam』(小学館)で専属モデルを務めたほか、『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ)などの人気バラエティ番組で活躍する姿も注目されている。雑誌やテレビだけでなく、映画、ラジオ、CMなど活動の幅を広げている。
大学の授業の合間を縫ってテレビに出演
芸能界への興味は幼い頃から持っていたが、漠然としたものだった。
「母がモデルをしていたので、撮影現場に連れて行ってもらったり、母がカバーモデルを務めた雑誌を見たりして、なんとなく憧れはありました。でも『芸能界に入りたい!』と自分から言えるタイプではなく、その気持ちはずっと心に秘めていたんです」
高校生の時、「全日本国民的美少女コンテスト」での本選出場を機に芸能事務所に所属。一方、大学への進学意欲も強く、学業と芸能活動の二足のわらじを履く決意をする。
「通っていた高校が、フランス語を第一外国語として学べるカリキュラムだったんです。フランス語は女性名詞と男性名詞があったり、主語によって動詞の形が変わったりする複雑な言語ですが、それがパズルみたいで面白かったのです。パリのカルチャーにも興味があり、フランス語やフランス文学を学べる大学を探しました」
「母がモデルをしていたので、撮影現場に連れて行ってもらったり、母がカバーモデルを務めた雑誌を見たりして、なんとなく憧れはありました。でも『芸能界に入りたい!』と自分から言えるタイプではなく、その気持ちはずっと心に秘めていたんです」
高校生の時、「全日本国民的美少女コンテスト」での本選出場を機に芸能事務所に所属。一方、大学への進学意欲も強く、学業と芸能活動の二足のわらじを履く決意をする。
「通っていた高校が、フランス語を第一外国語として学べるカリキュラムだったんです。フランス語は女性名詞と男性名詞があったり、主語によって動詞の形が変わったりする複雑な言語ですが、それがパズルみたいで面白かったのです。パリのカルチャーにも興味があり、フランス語やフランス文学を学べる大学を探しました」
大好きな立教大学を巣立つ
2004年に放送されたテレビドラマ『オレンジデイズ』(TBS)に影響を受け、華やかなキャンパスライフへの憧れもあった。
「オープンキャンパスで池袋キャンパスをおとずれた時、立教大学の美しい校舎を見て衝撃を受けました。先輩たちを見ても上品でかっこいい人ばかりで『絶対にここに通いたい!』と思いました」
念願かなってスタートした立教での学生生活。
「フランス文学専修の先生はフランクで素敵な方ばかりでした。授業は話しかけるようなスタイルでとても分かりやすかったです。歴史や文化的背景を交えた童話の授業など、強く印象に残っています」
2年次あたりから芸能活動が次第に忙しくなる。学業との両立には苦労したが、授業にはほとんど休まず出席した。午前3時に起きて、5時50分から朝のテレビ番組に生出演。9時から大学で授業を3時限受け、その後雑誌の撮影。それからまた授業に戻り、夜はバラエティ番組の収録。そんな目まぐるしいスケジュールの日も度々あった。その上、ダンスサークルでも活動。「一体いつ寝ていたんだろう」と堀田さんは笑いながら振り返る。
ハードな日々を乗り越えられた背景には立教の友人たちの存在があった。
「『一緒に卒業しよう』と言って勉強を教えてくれて、いろいろな相談にも乗ってもらいました。みんなと一緒に4年間で卒業したい、その一心で頑張りました」
4年次になり、同級生たちが就職活動を行う姿を見て、将来に対する迷いも。一方で雑誌『CanCam』のカバーモデル、CM出演、専属モデル就任、朝の情報番組のレギュラーなど、芸能活動に手応えを感じていた時期でもあった。
「自分が表紙を務めた雑誌を友人が買ってくれたり、学内でも応援してもらえるようになったり。そうした経験が増え、徐々に芸能界で生きていく覚悟が決まりました」
「オープンキャンパスで池袋キャンパスをおとずれた時、立教大学の美しい校舎を見て衝撃を受けました。先輩たちを見ても上品でかっこいい人ばかりで『絶対にここに通いたい!』と思いました」
念願かなってスタートした立教での学生生活。
「フランス文学専修の先生はフランクで素敵な方ばかりでした。授業は話しかけるようなスタイルでとても分かりやすかったです。歴史や文化的背景を交えた童話の授業など、強く印象に残っています」
2年次あたりから芸能活動が次第に忙しくなる。学業との両立には苦労したが、授業にはほとんど休まず出席した。午前3時に起きて、5時50分から朝のテレビ番組に生出演。9時から大学で授業を3時限受け、その後雑誌の撮影。それからまた授業に戻り、夜はバラエティ番組の収録。そんな目まぐるしいスケジュールの日も度々あった。その上、ダンスサークルでも活動。「一体いつ寝ていたんだろう」と堀田さんは笑いながら振り返る。
ハードな日々を乗り越えられた背景には立教の友人たちの存在があった。
「『一緒に卒業しよう』と言って勉強を教えてくれて、いろいろな相談にも乗ってもらいました。みんなと一緒に4年間で卒業したい、その一心で頑張りました」
4年次になり、同級生たちが就職活動を行う姿を見て、将来に対する迷いも。一方で雑誌『CanCam』のカバーモデル、CM出演、専属モデル就任、朝の情報番組のレギュラーなど、芸能活動に手応えを感じていた時期でもあった。
「自分が表紙を務めた雑誌を友人が買ってくれたり、学内でも応援してもらえるようになったり。そうした経験が増え、徐々に芸能界で生きていく覚悟が決まりました」
二つ道があったら、苦労する方を選べ
大学卒業後からバラエティ番組への出演機会が増える。
「最初のうちは、せっかく機会をいただいたのにほとんど話せなかったり、振られた話題に上手に返答できなかったりと、心が折れることが多くありました。でも、やはり面白くて。一つ一つの仕事に、もがきながら必死で取り組んでいました」
『世界の果てまでイッテQ!』では、泥水の中で転倒する、ピンポン玉を口の中に詰めるといった「体を張る」パフォーマンスで従来のイメージを打ち破るような姿も。
「いまとなっては『あそこまでやる必要があったかな?』と思うことはありますが(笑)、多くの方から『笑いました』『茜ちゃんの姿を見て元気をもらいました』という感想をいただくことができたので後悔はありません。自分でもそういうパワーを披露することができるんだと感動しましたし、そういった反応はとても嬉しかったです」
同番組では「人生でトップレベルに入るくらい感動的な経験をした」という堀田さん。
「野生のクジラと一緒に泳ぐロケがあったのですが、2~3頭見られたら幸運という状況で10頭近く出会うことができたのです。静かな海の中でクジラの声のような音も聞こえてきて、普通に生きていたら味わえない貴重な体験をさせていただきました」
「最初のうちは、せっかく機会をいただいたのにほとんど話せなかったり、振られた話題に上手に返答できなかったりと、心が折れることが多くありました。でも、やはり面白くて。一つ一つの仕事に、もがきながら必死で取り組んでいました」
『世界の果てまでイッテQ!』では、泥水の中で転倒する、ピンポン玉を口の中に詰めるといった「体を張る」パフォーマンスで従来のイメージを打ち破るような姿も。
「いまとなっては『あそこまでやる必要があったかな?』と思うことはありますが(笑)、多くの方から『笑いました』『茜ちゃんの姿を見て元気をもらいました』という感想をいただくことができたので後悔はありません。自分でもそういうパワーを披露することができるんだと感動しましたし、そういった反応はとても嬉しかったです」
同番組では「人生でトップレベルに入るくらい感動的な経験をした」という堀田さん。
「野生のクジラと一緒に泳ぐロケがあったのですが、2~3頭見られたら幸運という状況で10頭近く出会うことができたのです。静かな海の中でクジラの声のような音も聞こえてきて、普通に生きていたら味わえない貴重な体験をさせていただきました」
多彩な活動を行う中、堀田さんにとって「挑戦」の色合いが強いのが俳優の仕事だ。14年頃からテレビドラマやドラマ映画に出演しはじめ、19年には映画初主演を果たした。
「映画の主演が決まった時は信じられない気持ちでしたが、プレッシャーも大きかったですね。『モデルの子に演技できるの?』という目で周りから見られているような気がして。でも、小さな頃から映画が大好きで絶対にやりたかった仕事。生半可な気持ちで始めたわけではないし『負けてたまるか』という気持ちで臨みました。芝居の仕事は、まだまだ自分の中で納得できない場面が多いですが、負けず嫌いな性格なので自分が納得できるまで続けたいです」
堀田さんの座右の銘は「二つ道があったら苦労する方を選べ」。
「この言葉を聞いた時に、まるで自分のことを言っているように感じたんです」
芸能活動を行いながら大学を4年間で卒業すると決めた時。大学卒業後、芸能界に身を投じる決意をした時。モデルとバラエティ番組だけで多忙な中、芝居の仕事にチャレンジした時。その決断はいずれも「苦労する道」だった。
「その結果、仕事への熱量がずっと冷めず、充実感のある毎日を過ごせています」
「映画の主演が決まった時は信じられない気持ちでしたが、プレッシャーも大きかったですね。『モデルの子に演技できるの?』という目で周りから見られているような気がして。でも、小さな頃から映画が大好きで絶対にやりたかった仕事。生半可な気持ちで始めたわけではないし『負けてたまるか』という気持ちで臨みました。芝居の仕事は、まだまだ自分の中で納得できない場面が多いですが、負けず嫌いな性格なので自分が納得できるまで続けたいです」
堀田さんの座右の銘は「二つ道があったら苦労する方を選べ」。
「この言葉を聞いた時に、まるで自分のことを言っているように感じたんです」
芸能活動を行いながら大学を4年間で卒業すると決めた時。大学卒業後、芸能界に身を投じる決意をした時。モデルとバラエティ番組だけで多忙な中、芝居の仕事にチャレンジした時。その決断はいずれも「苦労する道」だった。
「その結果、仕事への熱量がずっと冷めず、充実感のある毎日を過ごせています」
もう一度大学に入れるなら、また立教で学びたい
立教大学で得られた財産として「人との出会いが一番大きい」と話す堀田さん。大学時代の友人とはいまでも交流があり、進んだ道は違っても、定期的に会って近況などを話している。また、外国人留学生を含む多様な学生との交流を通して「それまで人見知りだった自分が解き放たれた」と振り返る。
「芸能界で多くの人の目に触れる仕事していると、自分の発言がどこかで誰かを傷つけることがあるかもしれない。そう考えた時に、立教でさまざまな立場、境遇の人と関わり『相手の気持ちに寄り添う姿勢』を身に付けられたことは、いまの仕事を行う上で大きな土台になっていると感じます」
立教のリベラルアーツ教育の特徴の一つ、多彩な学びから得るものも大きかったという。
「広い視野を持っていろいろなことにトライする大切さを学びました。私はフランス語が学びたくて立教に入りましたが、幅広い学問分野に触れ、自分の世界が一気に広がりました。例えば、音楽のラップの文化を紐解いていく授業が面白くて、それまで興味のなかったヒップホップを聴くようになったんです。いま音楽関連の仕事もさせていただいているのですが、大学での学びが現在につながっているなと実感します」
鳥類学の権威であり、日本野鳥の会会長を務める上田恵介教授(現名誉教授)が担当していた科目「都市と野鳥」も印象に残っているという。
「授業の中で実際に野鳥を観察する機会があり、それまで知らなかった発見と感動がありました。授業を通して得た知識や体験は、バラエティ番組などで動物や自然に触れる時に生きています」
「芸能界で多くの人の目に触れる仕事していると、自分の発言がどこかで誰かを傷つけることがあるかもしれない。そう考えた時に、立教でさまざまな立場、境遇の人と関わり『相手の気持ちに寄り添う姿勢』を身に付けられたことは、いまの仕事を行う上で大きな土台になっていると感じます」
立教のリベラルアーツ教育の特徴の一つ、多彩な学びから得るものも大きかったという。
「広い視野を持っていろいろなことにトライする大切さを学びました。私はフランス語が学びたくて立教に入りましたが、幅広い学問分野に触れ、自分の世界が一気に広がりました。例えば、音楽のラップの文化を紐解いていく授業が面白くて、それまで興味のなかったヒップホップを聴くようになったんです。いま音楽関連の仕事もさせていただいているのですが、大学での学びが現在につながっているなと実感します」
鳥類学の権威であり、日本野鳥の会会長を務める上田恵介教授(現名誉教授)が担当していた科目「都市と野鳥」も印象に残っているという。
「授業の中で実際に野鳥を観察する機会があり、それまで知らなかった発見と感動がありました。授業を通して得た知識や体験は、バラエティ番組などで動物や自然に触れる時に生きています」
一つ一つの出会いや学びを振り返り「立教に通うことができて本当に幸運だった」と話す堀田さん。
「友人と一緒に授業を受けたり、第一食堂でとりとめのない話で盛り上がったり、すべてが“青春”の日々でした。そして、あの素敵なキャンパスだったからこそ一つ一つの思い出と景色がセットになって、きれいな記憶として残っています。もし、もう一度大学に入れるなら、また立教で学びたいし、いつか自分の子どもができたら立教に入ってほしい。どれだけ立教が好きなんだ、という感じですが(笑)」
そんな母校愛にあふれる堀田さんに今後のビジョンを聞いた。
「いまは特に芝居の仕事が楽しくて、もっといろいろな役に挑戦して表現の幅を広げていきたいですね」。
現在、MCを務めるラジオ番組でテーマとしているSDGsへの関心も強いという。
「『SDGsって何だろう?』からのスタートでしたが、毎週、多方面で活動するゲストの方の話を伺って勉強しています。私のような人間でも身近なことにコツコツと取り組めば、それが巡り巡って誰かのためになる。共生社会や世界中の人々の幸せを実現するためには、広い視野を持って、さまざまな立場の人に思いをはせる姿勢が大切だと感じます。決して簡単なことではありませんが、立教で多彩な授業を受けたり、多様な人と話したりする中で、そのベースが培われた気がします。私なりの視点と言葉で、SDGsのことを人々に伝えていけたらいいなと思っています」
※記事の内容は取材時点のものであり、最新の情報とは異なる場合があります。
「友人と一緒に授業を受けたり、第一食堂でとりとめのない話で盛り上がったり、すべてが“青春”の日々でした。そして、あの素敵なキャンパスだったからこそ一つ一つの思い出と景色がセットになって、きれいな記憶として残っています。もし、もう一度大学に入れるなら、また立教で学びたいし、いつか自分の子どもができたら立教に入ってほしい。どれだけ立教が好きなんだ、という感じですが(笑)」
そんな母校愛にあふれる堀田さんに今後のビジョンを聞いた。
「いまは特に芝居の仕事が楽しくて、もっといろいろな役に挑戦して表現の幅を広げていきたいですね」。
現在、MCを務めるラジオ番組でテーマとしているSDGsへの関心も強いという。
「『SDGsって何だろう?』からのスタートでしたが、毎週、多方面で活動するゲストの方の話を伺って勉強しています。私のような人間でも身近なことにコツコツと取り組めば、それが巡り巡って誰かのためになる。共生社会や世界中の人々の幸せを実現するためには、広い視野を持って、さまざまな立場の人に思いをはせる姿勢が大切だと感じます。決して簡単なことではありませんが、立教で多彩な授業を受けたり、多様な人と話したりする中で、そのベースが培われた気がします。私なりの視点と言葉で、SDGsのことを人々に伝えていけたらいいなと思っています」
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プロフィール
PROFILE
堀田 茜
2015年 立教大学文学部文学科フランス文学専修卒業
1992年生まれ。東京都出身。モデル活動をはじめ、テレビ番組『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ)、ドラマ『アバランチ』(フジテレビ)に出演するほか、ラジオ『ENEOS FOR OUR EARTH -ONE BY ONE-』(J-WAVE)でナビゲーターを担当するなど多方面で活躍。
衣装協力/ANDYOU DRESSING ROOM
スタイリスト/津野真吾(impiger)
ヘアメイク/川嵜瞳