目指すは「子どもが主人公」の学び——学都?松本のバトンを未来へつなぐ
長野県松本市教育委員会教育長 伊佐治 裕子さん
2023/10/18
立教卒業生のWork & Life
OVERVIEW
北アルプスの雄大な山々に囲まれ、歴史情緒ある城下町として知られる長野県松本市。古くから「学都」と称される同市で、女性初の教育長を務めるのが伊佐治裕子さんだ。
国宝の松本城は、五重六階の天守が現存している日本最古の城
「なぜ松本が学都といわれるのかというと、江戸時代から他地域に比べて寺子屋が多かったことや、明治初期に建てられた『旧開智学校校舎※』の建設費の7割を住民の寄付で賄ったことなどに由来します。つまり、昔から市民の生活の中に学びが息づき、大切にされてきた伝統があるのです」
そう穏やかに語る伊佐治さんは、松本市役所で筆頭部長である総務部長を務めた後、教育長の立場へ。市では行政職出身者としても初の教育長で、学校教育や生涯学習の振興、文化財の保護など、幅広い業務に取り組んでいる。
※旧開智学校校舎:旧制小学校である開智学校の校舎として1876年に建築。2019年、近代学校建築では初の国宝に指定された。
そう穏やかに語る伊佐治さんは、松本市役所で筆頭部長である総務部長を務めた後、教育長の立場へ。市では行政職出身者としても初の教育長で、学校教育や生涯学習の振興、文化財の保護など、幅広い業務に取り組んでいる。
※旧開智学校校舎:旧制小学校である開智学校の校舎として1876年に建築。2019年、近代学校建築では初の国宝に指定された。
左:立教大学時代に熱中したビッグバンドクラブではアルトサックスを担当/右:演奏が収録されたレコード
松本に生まれ、故郷のために日々奔走する伊佐治さんだが、かつては東京に憧れを抱き、立教の門をくぐった。
「漠然と『教員になりたい』と思い、文学部教育学科に入学しました。でも、1?2年次は授業よりジャズオーケストラサークル『ビッグバンドクラブ』の活動に夢中でしたね」
特に思い出深いのは、1980年に学生バンドの登竜門「ヤマノ?ビッグバンド?ジャズ?コンテスト」に出場し、立教大学が最優秀賞を獲得したこと。「演奏を収録したレコードも発売されて、感激しました」と笑みを浮かべる。
「漠然と『教員になりたい』と思い、文学部教育学科に入学しました。でも、1?2年次は授業よりジャズオーケストラサークル『ビッグバンドクラブ』の活動に夢中でしたね」
特に思い出深いのは、1980年に学生バンドの登竜門「ヤマノ?ビッグバンド?ジャズ?コンテスト」に出場し、立教大学が最優秀賞を獲得したこと。「演奏を収録したレコードも発売されて、感激しました」と笑みを浮かべる。
立教大学時代に所属した中野ゼミの仲間と。中野光教授(前列中央)を囲んで
3年次からは一転、近代教育史のゼミに打ち込んだ。それは、担当教員だった中野光 教授(当時)の存在が大きかったという。
「その頃から『子どもの権利』に着目するなど先進的な考えをお持ちで、影響を受けましたね。『借り物の知識ではなく、自分で調べて考えを組み立てるべき』という先生の口癖は、後の仕事における基本姿勢になりました」
3年次から、教育学専攻課程と初等教育専攻課程に分かれるが、教育学専攻を選択。同時に司書課程を履修することに。ここでも、戦後の図書館界をリードしてきた清水正三教授(当時)から多くの刺激を受けた。
「政治から独立した市民の学びの場がいかに大切か。社会教育や生涯学習を支える立場になった今、この教えを肝に銘じて取り組んでいます」
「その頃から『子どもの権利』に着目するなど先進的な考えをお持ちで、影響を受けましたね。『借り物の知識ではなく、自分で調べて考えを組み立てるべき』という先生の口癖は、後の仕事における基本姿勢になりました」
3年次から、教育学専攻課程と初等教育専攻課程に分かれるが、教育学専攻を選択。同時に司書課程を履修することに。ここでも、戦後の図書館界をリードしてきた清水正三教授(当時)から多くの刺激を受けた。
「政治から独立した市民の学びの場がいかに大切か。社会教育や生涯学習を支える立場になった今、この教えを肝に銘じて取り組んでいます」
「福祉だけでは限界がある」市役所時代に感じた葛藤
大学卒業後は「月並みですが、人の役に立ちたい」と思い、松本市役所に入所。司書資格を生かし、通算14年間は図書館に在籍。その後はさまざまな部署を経験し、管理職になってからは教育政策課長やこども部長として、教育?児童福祉の分野に力を注いだ。
中でも、今につながる経験を得たのはこども部時代。児童虐待や子どもの貧困などの問題に向き合ううちに、「これは福祉だけでは限界がある。教育との両輪で対応しなければ」と強く感じた。さらに、並行して伊佐治さんが取り組むことになったのは、くしくも大学時代に学んだ「子どもの権利」の推進だったという。
「2013年に施行された『松本市子どもの権利に関する条例』を広める役割を担ったんです。当時はまだ全国でも少数派の取り組みでしたし、理解されない場面が多くありました。でも、これは中野先生の薫陶を受けた私の使命かもしれない、と思いましたね」
20年には、市長、副市長に次ぐ立場の総務部長に女性で初めて就任。コロナ禍の対応で多忙を極めたものの、「役所人生の集大成だと思って臨んでいた」ところ、思いがけず市長から「教育長に」との打診を受けたのだ。
中でも、今につながる経験を得たのはこども部時代。児童虐待や子どもの貧困などの問題に向き合ううちに、「これは福祉だけでは限界がある。教育との両輪で対応しなければ」と強く感じた。さらに、並行して伊佐治さんが取り組むことになったのは、くしくも大学時代に学んだ「子どもの権利」の推進だったという。
「2013年に施行された『松本市子どもの権利に関する条例』を広める役割を担ったんです。当時はまだ全国でも少数派の取り組みでしたし、理解されない場面が多くありました。でも、これは中野先生の薫陶を受けた私の使命かもしれない、と思いましたね」
20年には、市長、副市長に次ぐ立場の総務部長に女性で初めて就任。コロナ禍の対応で多忙を極めたものの、「役所人生の集大成だと思って臨んでいた」ところ、思いがけず市長から「教育長に」との打診を受けたのだ。
「学び」や「子どもの人権」を大事にする市民性を途絶えさせてはならない
「教職経験のない自分に、松本の教育長が務まるのか……もちろん迷いはありました。でも、教育現場を客観的に見る『外』の目も必要かもしれないと思ったんです。そして、何よりこども部時代の葛藤を思い出し、子どもたちのために全力を尽くせるなら、こんなにやりがいのある仕事はないんじゃないかと」
もう一度集大成が来たと思えばいい。そう自分に言い聞かせ、21年4月、定年退職と同時に教育長に就任した。
以来、一貫して大事にしているのは、「主人公は子ども」。背景には、大学時代から続く「子どもの権利」への深い理解と、その推進に取り組んできた日々がある。継続的な働きかけが実り、22年には前述の条例をベースに『子どもが主人公 学都松本のシンカ』を掲げた松本市教育大綱を実現した。
「ただ、実はこれも明治にさかのぼると、特別支援教育の発祥とされる取り組みなど、当時の教員たちが子どもの人権を大切にしてきた伝統があります。先人たちが松本で築いてきたものを途絶えさせてはならないし、『学び』や『子どもの人権』を重んじる市民性を未来につなげないといけない。それは、とても意義のある仕事ですし、挑戦しがいのあるテーマだと感じています」
もう一度集大成が来たと思えばいい。そう自分に言い聞かせ、21年4月、定年退職と同時に教育長に就任した。
以来、一貫して大事にしているのは、「主人公は子ども」。背景には、大学時代から続く「子どもの権利」への深い理解と、その推進に取り組んできた日々がある。継続的な働きかけが実り、22年には前述の条例をベースに『子どもが主人公 学都松本のシンカ』を掲げた松本市教育大綱を実現した。
「ただ、実はこれも明治にさかのぼると、特別支援教育の発祥とされる取り組みなど、当時の教員たちが子どもの人権を大切にしてきた伝統があります。先人たちが松本で築いてきたものを途絶えさせてはならないし、『学び』や『子どもの人権』を重んじる市民性を未来につなげないといけない。それは、とても意義のある仕事ですし、挑戦しがいのあるテーマだと感じています」
子どもを中心に据えて教育現場を変えてゆく
就任から2年。“女性”教育長としての抱負やビジョンを聞かれることも多いというが、「あまり意識したことはないですね。一人の職業人として、その職にどう臨むかしか考えていなくて」とほほ笑む伊佐治さん。では、教育長としての今後の目標は?
「現在、教育は転換期を迎え、ようやく『個』を大切にする方向に進み始めています。だからこそ重要なのは、その潮流を支える教員の負担を減らし、やりがいを感じられる環境をつくること。研修や学びの機会を増やしたいと思っています」
全国的に激務が問題視される教員がゆとりを持てれば、一人一人の子どものSOSをくみ取ることにつながる—。伊佐治さんはそう考えている。そして地域教育の中枢を担う立場となった今、大学時代をこう振り返る。
「子どもたちの自由な学びや表現を最大限サポートしたいという思いが強いのは、多様性を尊重する『自由の学府』で過ごしたこと、そこで素晴らしい先生方に出会えたことが大きいです。立教で学んだ日々は私の誇りですし、学生時代や美しいキャンパスを思い出すと、今でも励まされるんです」
懐かしそうに目を細めつつ、最後に自らの経験を踏まえ、現役学生にこんなメッセージを送ってくれた。
「私が中野先生に教わったように、やはり自分の目で見て、調べて、考えることを心掛けてほしいですね。その上で、意見の対立を恐れないでほしい。私も総務部長時代はたびたび市長に進言して『食ってかかってくるのは伊佐治さんくらい』と言われたりもしたのですが(笑)。自分の頭で考え、粘り強く対話することを大切にしてもらいたいと思います」
「現在、教育は転換期を迎え、ようやく『個』を大切にする方向に進み始めています。だからこそ重要なのは、その潮流を支える教員の負担を減らし、やりがいを感じられる環境をつくること。研修や学びの機会を増やしたいと思っています」
全国的に激務が問題視される教員がゆとりを持てれば、一人一人の子どものSOSをくみ取ることにつながる—。伊佐治さんはそう考えている。そして地域教育の中枢を担う立場となった今、大学時代をこう振り返る。
「子どもたちの自由な学びや表現を最大限サポートしたいという思いが強いのは、多様性を尊重する『自由の学府』で過ごしたこと、そこで素晴らしい先生方に出会えたことが大きいです。立教で学んだ日々は私の誇りですし、学生時代や美しいキャンパスを思い出すと、今でも励まされるんです」
懐かしそうに目を細めつつ、最後に自らの経験を踏まえ、現役学生にこんなメッセージを送ってくれた。
「私が中野先生に教わったように、やはり自分の目で見て、調べて、考えることを心掛けてほしいですね。その上で、意見の対立を恐れないでほしい。私も総務部長時代はたびたび市長に進言して『食ってかかってくるのは伊佐治さんくらい』と言われたりもしたのですが(笑)。自分の頭で考え、粘り強く対話することを大切にしてもらいたいと思います」
※本記事は季刊「立教」265号(2023年7月発行)をもとに再構成したものです。バックナンバーの購入や定期購読のお申し込みはこちら
※記事の内容は取材時点のものであり、最新の情報とは異なる場合があります。
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プロフィール
PROFILE
伊佐治 裕子
1983年 文学部教育学科卒業
長野県松本市出身。大学卒業後、松本市役所に入所。14年間の図書館勤務を経て、介護課(現 高齢福祉課)、会計課、行政管理課で研さんを積み、地方公務員の中央研修機関である自治大学校での研修も経験。文化財課長、教育政策課長、こども部長、文化スポーツ部長、総務部長を歴任した後、2021年4月、松本市教育委員会教育長に就任。