2020/01/29 (WED)

【資料紹介】黒井火力反対運動関連資料について②—資料が語ること

立教大学共生社会研究センター リサーチ?アシスタント(RA) 長谷川達朗

資料紹介①では、反対運動と熊倉平三郎氏についてと、資料群の概要を述べました。続いて、この資料紹介②では、具体的な資料のいくつかをピックアップし、内容紹介をすることでこの資料の持つ魅力をお伝えしたいと思います。
 
一つ目は土地の不売誓約書です。火力発電所の建設予定地は、海に程近く、耕地をはじめとする私有地も多く含まれていました。そのため、東北電力は発電所に給水するパイプ用地や建設予定地を買収しなければならず、それを阻止することは反対運動をする上で欠かせないことでした。そこで作成されたのが、地主に土地を売らないことを誓わせる不売誓約書です。不売誓約書は、守る会が発足した直後の1968年に作成されており、運動の中で土地を守ることがどれほど重要視されていたのかがわかります。当資料群には、不売誓約書がしっかりと残されているため、住民の誰がどこの土地を所有しており、反対運動に与していたのかどうかがはっきりとわかります。研究を進める上では、極めて重要な基礎資料の一つだといえるでしょう。
二つ目は、護岸工事問題に関する資料です。火力発電所問題の最中である1969年12月から翌年1月頃にかけて、黒井を高波が襲い多数の被害が出ました。このとき、浪害対策として市や自治体と護岸工事について協議がなされ、市は護岸工事に要する土地の無償譲渡を黒井に求めてきました。しかし、火力発電所の取水管埋設予定地と護岸計画地が重なっていたことが問題を複雑にさせます。土地を譲渡すると火力発電所建設が進められる危険性があると認識した守る会の人びとは、護岸工事に反対したのです。護岸工事をとるか、火力発電所反対をとるかで、黒井地区の中でも対立が生まれ、区民大会が開催されたほどでした。どちらも命に係わる問題であるだけに、評価は難しいところですが、黒井地区と県港湾課との話し合いの中で、そこに参加していた護岸地主のひとりから、次のような言葉が発せられたことは注目されます。

 「浪にまかれて死ぬのは本望だが、瓦斯で死にたくない」

「瓦斯」というのは、火力発電所が設置されたことによって生まれる公害を指し示すのでしょうか。この言葉に私は、黒井で生きてきた生活者の気概のようなものを感じます。瓦斯にしろ高波にしろ、生命がおびやかされる点は同じです。しかし、自然災害によって死ぬことと、人間の生み出す公害によって死ぬことの間に、地域の生活者は大きな隔たりを感じていたのもまた事実でしょう。
最後の三つ目に、冒頭で触れた回想録をあげたいと思います。これは、反対運動に勝利し熊倉氏が病に倒れたのちに、自ら反対運動の経過について書き留めたものです。本人の直筆による極めて貴重な資料だといえます。回想録には、議事録の引用など他の資料から抜かれている部分も多いのですが、随所にある熊倉氏による地の文章からは熱気が感じられるようです。また、回想録は、熊倉氏の孫にあたる方によってパソコンで入力され、そのデータの入ったCDが回想録とともに風呂敷で包まれていました。このことは、回想録をはじめとするこれら資料群が、大切に保管され、受け継がれた末にいまここにあることを実感させてくれます。運動に関わった人はもちろん、資料を残した人、伝えた人の思いにまで寄り添いながら資料に向き合うことが、私たちに求められているのです。
 

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